理不尽な怒涛が飛び交う社内、その雰囲気を悪くしている張本人は、この空気の変化を理解しているのか?
そこそこ社会人やっていると遭遇する理不尽な状況、
直接自分に関係なくとも、客観的に眺めると、明らかにおかしい事をしている、言っているというのが理解できる。
そんな中、その人は自分を客観的に見ることが出来ているのだろうか?
(自分がしゃべっている時に、幽体離脱できて上から眺めることが出来れば最高なのだが・・)
否、無理だろう、
だからその行動をやめられない。
その為回りからは「困ったちゃん」として見られるようになってしまう。
そういった人には、同僚、上司、後輩からの「言葉」が一番スパイスになる。
しかし、誰もが自分の欠点を言われて気持ちいはずがない、
相当ポジティブな人は、
「注意してくれてありがとう!」
と感謝の握手を求められるかもしれないが、そんな人には理不尽な行動は見られないはずだ。
必要なのは、その人に自分が助言していることを悟られず、アメリカンチックに表と裏をハッキリと明示するのではなく、
日本人が十八番の、「グレーに説く」という事をしてみるといいのではないだろうか?
(要は、相手にどれだけ気持ちよくなってもらって、のせられるかだろう・・・)
自分は知らないけど、相手が知っている「盲目の窓」ばかり広い人にならず、
自分も知っているし、相手も知っている「開放の窓」を広げ、気持ちよく爽快に生きた方が断然楽しい。
自分の欠点をオープンにすることは抵抗があるが、意外とそこに親近感を持ってくれるのが人の性